秒速5センチメートル

「秒速5センチメートル」

秒速5センチメートル 通常版 [DVD]

監督:新海誠
原作:新海誠

キャスト

遠野貴樹(CV:水橋研二)
篠原明里(CV:近藤好美)(第1話「桜花抄」)
澄田花苗(CV:花村怜美)(第2話「コスモナウト」)
篠原明里(CV:尾上綾華)(第3話「秒速5センチメートル」)

あらすじ

小学校の卒業と同時に離ればなれになった、遠野貴樹と篠原明里。そのとき、二人の間には二人だけの特別な想いが存在していた。しかし、無情にも時だけが過ぎてゆく……。そんな日々を重ねたある日、ついに貴樹は明里に会いに行くことを決意。訪れた約束の日、チラホラと舞う雪がスピードを増し、辺りを白く包んで行った……。

シネマトゥデイ

 

レビュー

新海誠監督の作品。映画「君の名は。」が大ヒットしていたようなので、この作品も観てみることにした。
ちなみに「君の名は。」は心を動かされるほどではないが、エンタメとしてはまあ十分に楽しめたといった感想だ。

全体の構成としては3話構成となっている。
1話「桜花抄」、2話「コスモナウト」、3話「秒速5センチメートル」。
1話「桜花抄」は小学校時代から中学校時代にかけての淡い青春を描いたもの。
2話「コスモナウト」は高校生時代、遠野貴樹に恋心を抱く澄田花苗と、篠原明里とは徐々に疎遠になっていく遠野貴樹の話。
3話「秒速5センチメートル」は大人になりもう2人の関係も無く、心にハリをなくした遠野貴樹と結婚した篠原明里の話。

まず主人公である遠野貴樹には全く共感できないようなキャラクターだ。
恋愛モノとして作品を作ったのだからある程度は共感できるような身近な要素がマストだと思うのだが、
主人公は暗くウジウジしていて感情的に抑揚のない人間として描かれており、2話では明らかに好意を寄せてくれている同級生に中途半端な態度をとったりする。
二人きりでいつも下校したり表面的には仲良くしているにもかかわらず、明らかに壁を作り心の内側を見せない主人公。
そこまで極端に篠原明里を想っているのなら、積極的にコンタクトを取れるだけの精神的エネルギーはあるはずだし、結局はそこまでじゃなかったのかなと思わされる。
にもかかわらず3話で大人になってからもずっと忘れられずに引きずる主人公。意味がわからない。

そしてストーリーの内容が表面的すぎる。中身の深い所やテーマ性といったものは感じられなかった。
ただ淡い恋心を引きずった男性ときっぱり切り替えて新しい道へと進む女性というだけである。
引きずりやすく新しい恋愛へと発展しにくい男性と、切替の早く新しい恋愛に向かう女性という構図をテーマに取り上げているのだとしたら、自分には理解できない。
引きずりやすい男性と切替の早い女性というイメージは、個人的には大まかな傾向として存在するような気がすると言えなくもない。
もちろん個人一人一人でのレベルでの話では、さっぱりした男性や引きずりまくる女性も沢山いるだろう。
もし仮にこのようなテーマで描いているのだとしたら、女性差別だとかLGBTがどうだとか、非常に、かつ過剰に取り上げられやすい問題となっている。
こうしたセンシティブな問題において、男性らしさ、あるいは女性らしさなどという言葉を使うこと自体を咎められる可能性すらあるのだ。
そんな中でこんなテーマを取り上げているとしたらナンセンスだ。
またタイトルの「秒速5センチメートル」とキャッチコピーである「どれほどの速さで生きれば、きみにまた会えるのか」から
「人間の生きる速さ」といったテーマが描かれているのかとも推察できる。
確かに主人公と篠原明里の生きる速度やテンポ・リズムは違うのかもしれない。
だがそれならば、もう少し生きる速度に関する描写を多くしてほしかったという印象だ。
時折入る長さや距離の表現、2話の「秒速5キロ」や3話のメールで「1センチも…」のセリフがあるが、生きる速度とは直接関係の無い場面である。
もし「生きる速度」がテーマであってたとしても、それに関する描写が少なすぎてこの作品を観てすぐにそのテーマが伝わるとは思えない。

そもそもこういうテーマだったり、何か壮大なストーリーを作らずにただ感傷的なシーンをメインに描きたかっただけなのだろうか。
それにしては臭すぎるように思える。1話はありがちではあるものの、相思相愛になったりするシーンは良い。
しかし2話では篠原明里を想い続けることを微塵も隠さない主人公。そして中途半端な言動に振り回される同級生。
そして3話では対照的な2人を描く。引きずる主人公の不幸さ、惨めさと、結婚して良い思い出に昇華した篠原明里の幸福さ。
このギャップに加えて、山崎まさよしの楽曲「One more time, One more chance」が流れる。
正直、3話では山崎まさよしの曲の良さでカバーできてるといった印象だ。


緻密な風景描写と楽曲の良さで圧倒され、主人公の不幸さが際立つのだがやりすぎだ。
これでもかと主人公を惨めにさせる雰囲気だ。
さらに全体を通して登場人物の心の中の声が随所に入るが、言い回しがポエムっぽくて好きになれない。
これらは個人の好みによる所が大きいのは承知しているが、個人的には臭すぎると思えて面白みを感じられない。

登場人物の心情や言動に関する描き方、ストーリーの構成なども含めて、恋愛観をこじらせたような、
新海誠監督の思い込み、あるいはこうあってほしいなどといった思想が透けて見えてしまうようでどうしても好きになれない。

逆に上記に挙げられたことが気にならないのであれば、好みに合致するのであれば、
美しくロマンチックなお話として没入感や共感といったものが増幅されて作品を楽しめるだろうと思う。

 

良かった点

なんと言っても自然風景や都会の風景の緻密さ、美しさが、色彩などが良い点だ。
特に自分は都会の風景や建物、生活感のある住居の外観や電柱・電線などを含めた人工物による風景が好きで、何とも表現しきれない興奮を覚えるのだ。
これは個人の好みであるのだが、非常に満足できる内容だ。
宇宙や星といったものも綺麗だと思うし好きなのだが、この作品においては若干過剰な描写と感じた。

篠原明里の声は1話・3話共に、暖かみのある、優しく可憐な声で純情さを感じる声でとても好印象だ。
声優は1話と3話で違うのだが、1話は幼さを感じられ、3話は1話の頃の声・喋り方を崩さず大人の落ち着きのある声で、かつ違和感が無いのは良かった点だ。
アニメーションだからといってキンキン声にならなくて本当によかった。

死霊のえじき (原題:DAY OF THE DEAD)

「死霊のえじき」

スマイルBEST 死霊のえじき 完全版 [DVD]

監督 ジョージ・A・ロメロ
脚本 ジョージ・A・ロメロ

登場人物

サラ・ボウマン(ロリー・カーディル)

マシュー・ローガン博士(リチャード・リバティー)

テッド・フィッシャー(ジョン・アンプラス)

ジョン(テリー・アレクサンダー)

ウィリアム・”ビル”・マックダーモット(ジャーラス・コンロイ)

ヘンリー・ローズ大尉(ジョセフ・ピラトー)

「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド/ゾンビの誕生」(68)、「ゾンビ」(78)に続く“リビング・デッド”三部作の最終作。地球全土がゾンビで完全に埋め尽くされた近未来、巨大な地下基地では生き延びた軍部と科学者の対立が続いている。絶望的な状況の中ついに人間関係は崩壊し、基地内に多量のゾンビが流れ込んで来た……。 レビュージョージ・A・ロメロ監督のオブ・ザ・デッドシリーズ三部作の3作目となる作品。
ゾンビ映画と言えばロメロ監督を無しには語れないだろうということで、とりあえず死霊のえじきからレビュー。ゾンビ対策の研究者と、その護衛と検体捕獲をする軍人が地下基地で生き延びるものの、徐々に消耗していき13人程度になったところから始まる。
そのため基本的にはすべて地下基地内で進行するため、ゾンビ映画にありがちなど派手なアクションがあるわけではない。
むしろ終盤以外はほとんど戦闘アクションは無いのである。
ほとんどは基地内での軍部と研究者側の人間関係の対立を主に描いているため、終盤まではビジュアル的には地道な展開が続く。そして中盤辺りにサラがジョンの住処へ招待され話をする場面なのだが、ジョンは4分以上の間、ほぼ一方的に話し続けるのだ。割りと長い。
そして神の罰がどうだとか宗教的な持論を展開するジョン。ある意味対極に位置するであろう科学者としてのサラにはどれほど通じたのだろうか。
ほとんど喋らない上に通じたのかどうかわからない微妙な反応をサラがしていることもあって疑問が残った。残虐的な描写は度々あるものの、上記の長い会話シーンに加えて、ゾンビとのアクションシーンは終盤までほとんど無い。
ロメロ監督のゾンビ映画はアクションがメインではなくヒューマンドラマ(極限状態の人間関係)が見ものであると思っているので自分としては問題ない。
だが、邦題として「死霊のえじき」なんてタイトルをつけたらホラー好きやロメロ好きな人以外の普通の人はバリバリのアクション映画を期待するのではないだろうか。
これはこの邦題を付けた配給会社が悪いのではないかと思う。サラはゾンビそのものを根絶させることを目的に研究をしているが、
マッドサイエンティスト的なローガン博士は飼いならす、生きた人間をエサと見なさない方法を模索することを目的としている。
ローガン博士は飼いならす実験のため、バブと名付けたゾンビをしつけるのだが、
本を開いたりカミソリを頬へ持っていったり、ピストルの装填動作(スライドを引く)から引き金を引くなどといった動作も出来るようになっているのである。


本を開いたりカミソリを頬に持っていくなどという単純な動作ならばともかく、ピストルの装填をしてから狙って引き金を引くなんていうのは流石に複雑すぎる動作なのではと思う。
さらにはベートーヴェンの交響曲第9番を聞いて驚く?感動?しているのである。
おまけに軍服姿の男には敬礼する。ラストシーンではバブが見事ピストルをローズ大尉に命中させてしたり顔で敬礼するのだ。
これが後に「ランド・オブ・ザ・デッド」の知性を持つゾンビに繋がるのだが、正直に言ってここまでいくと個人的にはやり過ぎではという印象だ。
ゾンビ映画の第一人者であるロメロ監督がこれで良いということでこのシーンを入れたのだから受け入れはするが、やはりなんとなく違和感が残る。
余談ではあるが、バブの演技は非常に上手く、とても可愛らしくて愛着が湧くような良いキャラだったと思う。終盤にさしかかろうという辺り、ローガン博士のテープレコーダーを発見して再生するシーンでは内容がわかりにくかった。
今回は字幕で観たのだが、「これは僕の靴下だよ」、「僕が片付けた」「お行儀よくしろ」「脱げ 脱ぐんだ」「5分だけ」といった音声が流れる。
ゾンビと一緒におままごと的なお遊びをしているのか、性的な対象と見ているのか、ただ単にしつけの一貫なのか、
それとも単純にローガン博士の精神的な異常を強調したかっただけなのか、少しわかりくく感じた。少し気になる所としてオープニング時の空撮場面なのだが、1台だけ普通に走行している車があるのだ。
開始して1分ちょっとの場面、わずか数秒のシーンで動いているのはほんの一瞬なので、ほとんど気付くことは無いだろうが、気付いてしまうと冷めてしまうだろう。

また、終盤にゾンビがなだれ込んでくるシーンでは、様々なコスチュームのゾンビが現れとても面白いシーンなのだが、
1人のヘルメットをかぶった兵士らしきゾンビがズレてしまったヘルメットを素早く手で抑えるのである。
これはゾンビにあるまじき動作ではないだろうか。
ラストシーンに夢オチで省略してしまったのは惜しい。さらに脱出のシーンを含めると夢オチが3回程繰り返されてしまったのもやや不満だ。
ビジュアル的には脱出のシーンは盛り上がりのピークだとは思うのだが、予算的な問題なのだろうか…。面白かった点面白かった点としては、やはり人間関係ということで各登場人物のキャラが立っていること。
女性研究者、人柄の良いパイロットの黒人男性、情緒不安定なスペイン人男性、酒好きでスキットルを常に持っている無線特化の男性、攻撃的なリーダー的立ち位置の軍人、
対ゾンビ時にやたらとハイになっている軍人、マッドサイエンティストなど、しっかりと個性のある登場人物がいるというのは
視聴者にとって覚えやすく愛着が湧きやすい(感情移入しやすい)。
製作側にとっても物語を展開していく上で不自然にならずにイベントを起こしやすいのではないだろうか。コスプレゾンビなども見ていて面白い。兵士ゾンビやラグビーのプロテクターを付けたゾンビ、そしてバレリーナの衣装を来たゾンビはつま先立ちをして歩いていたりする。
生前の記憶が残っているという設定のこだわりを感じる。多少の遊び心もあるのだろう。ほとんどは一瞬しか写らないので何度か観る必要があるかもしれないが、何度も観る楽しみがある。
あと序盤の町中のシーンで唐突にワニが出たのにはついつい笑ってしまった。面白い。また残虐的な描写の完成度はとても高い。皮膚や血液を上手く使って不快感を与えている。
当時は失神したという人もいたらしいが、スクリーンで観るとそれほど強烈なインパクトがあったのだろう。後々のゾンビ映画に与える影響というのはスゴいと思う。
風に流される新聞でゾンビ発生時の情勢を伝えたりする手法、ゾンビを飼いならそうとする研究者、対ゾンビ戦闘でハイテンションになる軍人、噛まれた腕を切断して感染を防ぐなどといったアイデア。
これらは後世のゾンビ映画にそのまま使われていたりするものもある。
最初に挙げた風に流される新聞手法やゾンビを飼いならそうとする研究者は映画「バイオハザードシリーズ」にも登場する描写だ。
また対ゾンビ戦闘でハイテンションになる軍人やコンバットハイのようになる軍人に至ってはほとんどのゾンビ映画で登場する定番キャラクターだ。
噛まれた腕を切断して感染を防ぐという描写はドラマ「ウォーキング・デッド」で見た記憶がある。
ロメロの旧3部作も新3部作?もすべて鑑賞しているが、後世に与えた影響は大きいんだなと改めて痛感した。

サバイバルファミリー

「サバイバルファミリー」

サバイバルファミリー DVD

公式サイト http://survivalfamily.jp

監督 矢口史靖
出演 小日向文世, 泉澤祐希, 葵わかな, 深津絵里

登場人物

鈴木家 父・義之(小日向文世)、母・光恵(深津絵里)、息子の賢司(泉澤祐希)、娘の結衣(葵わかな)

予告編

 

あらすじ

東京に暮らす平凡な一家、鈴木家。さえないお父さん(小日向文世)、天然なお母さん(深津絵里)、無口な息子(泉澤祐希)、スマホがすべての娘(葵わかな)。
一緒にいるのになんだかバラバラな、ありふれた家族…。そんな鈴木家に、ある朝突然、電気を必要とするすべてのライフラインが完全にストップするという緊急事態が発生する。
果たして、サバイバル能力ゼロの平凡一家は電気がなくなった世界で生き延びることができるのか!

 

レビュー

全体の評価としては雑な作りという印象を受けた。
映画のタイトルにサバイバルと名付けたのだから、もう少し現実的に描いてほしかった。
無茶な描写が多く見受けられ、これではファンタジーすぎるように思える。
後述するのだが、監督は都会の人間が、たいして目算も立てずに突然脱出だと言って家を飛び出したら、どんな目に遭うかということが、観客に体験してほしいことでした、と述べている。
だったらもうちょっとリアリティが欲しい。普通ならこの一家は何回かは死んでいる。

そしてこの映画のジャンルはコメディとされているのだが、全体を通してシリアスとコメディが入り混じっている。
そのバランスが良いという人もいるのだろうとは思うが、うろたえる人々の滑稽さから、
水を盗むなどのシーンがあったかと思えば、飼い犬を置き去りにして逃げる家族や、
律儀に食料を分けて助け合ったりなど、チグハグだと感じる場面や状況が数多くあった。

主要キャスト(鈴木家以外)のほとんどの役者の演技がひどすぎる。特にマンションでの集会のシーンなんてひどいなんて物ではない。
そのシーンは構図などの演出も含めて急にクオリティが低くなっていると感じる。小学校の学芸会を彷彿とさせるような演技でこっちが恥ずかしくなってくる。

細かいツッコミ

※こういう事は監督が描きたいものではないという事はわかったうえで敢えて書いています。
※書ききれていないものもあります。

  • 原発がメルトダウンして大事故を起こすはず。
  • およそ3時6分頃に謎の現象が発生したようだが、どこも交通事故等が起こっていない。

—時系列順の細かいツッコミ—

-初日~2日目
街中で停電となり、全ての電化製品が使用不能になっている。
電池を使っている物もすべて使用不能になっている時点で太陽フレアしかないと思うのだが、それほど馴染みのない事柄だろうか。
停電だとか、オーロラがどうだとか、通信網が破壊されるなどというニュースは近年は数年おきに目にすると思うのだが…。
まあ最後にすべて復活するので太陽フレアではないのだが…。

夜中に一家で星空を見上げるシーンでは娘・結衣が「天の川って実在するんだ!」と言う。
これは流石にに今どきの高校生をバカにしてるような描写ではないだろうか。

-3日目
初日は父・義之は出社、娘・結衣と息子・賢司は登校するが、こんな事態でもほとんどの人は出社したり登校したりはするだろうなとは思う。
ただ3日目以降も出社・登校していられる場合では無いと思う。あまりにも非現実的すぎる。

ここで息子・賢司は片思いしていると思われる中村里美の家に向かうが、友人の男と一緒にいるところを目撃してしまう。
賢司が知らないだけで、家族ぐるみ?で付き合いがあったようだ。
そしてこのシーン以降、里美やその彼氏どころか、この話題自体一切出てこないのである。
このシーンは何のために撮ったのだろうか、疑問が残る。
あと里美の住所確認のためのはがきには「崎玉県」と書かれている。埼玉は元々はこの漢字らしい。
しかしわざわざこの漢字を使った意図や思想があるのだろうか。ちょっと気になる。

-7日目以降

マンションの集会シーン後、父・義之は空港に向かうと言い出す。
信じられない。まともに電気も使えず苦労しているのにその発想はなかなか出て来るものではない。
本当に動いてると思っているならどうかしてる。
またいざ出発するシーンで父の「今更つけまつげなんていらないだろ~」というセリフと、
その直後の徐々に水の値段が高くなっていき、最終的に母・光恵が値切るシーンはコメディらしくて好印象。

自分は知らないのだが、東日本大震災では関東・東北はこのような状況が本当にあったようで、当時を体験した人には笑えないだろうとは思うが。

最初の2~3日は大丈夫かもしれないが、そろそろ略奪や物資の奪い合いによる死傷者が出る頃だと思われる。
一家はPA付近で野宿をするが、夜中に水を1本取られてしまう。
が、さすがに野宿なんかしてたらただでは済まないだろう。水1本で済むわけがない。

トンネルのシーンでは白杖をもった盲目の老いた女性達がトンネル渡しをやっており、中には止まった車や狸の死骸があるのでロクに進めないらしい。
長さは2.5キロ。さすがに明かり無しでは厳しいが、その対価はお米か水、どちらも貴重である。火を起こして照らすという考えは無かったのだろうか。
そして盲目の老いた女性の集団なんて真っ先に襲われる対象になるのではないだろうか。
もちろんコメディであり、監督もそういった血生臭い事を描きたいわけではないのはわかる。
わかるのだがどうしても気になってしまう。

-16日目以降
川の水を飲み、下痢になる父・義之。飲める水が無い状態で下痢になんてなったらあっという間に死んでしまうのではないだろうか。
幸い、キャットフードとバッテリー用の精製水を獲得したので生き延びられたのだろう。

-22日目
ここで飲水が枯渇。次の場面では大阪に到着して43日目となる。

-43日目
22日目辺りで無くなった飲水。どうやって生き延びられたのだろう。
その後、水族館で展示されている魚などを使い、炊き出しを行っている場所を発見する。
しかしちょうど目の前で全て終了して食事にはありつけない。
だがしかし、ここで既に電化製品が使えなくなって43日間経過している。装置による維持やエサなどの世話が無い状態で生きられる魚類はどれだけいるのだろうか。

-67日目
どうやってここまで生き延びられたのだろうか…。少なくとも22日目からまともな飲水はないが、一家は元気そうでなによりだ。

ここでは一家が養豚場から逃げたブタを偶然見つけて捕まえる。しかしすぐにそのブタを所有する養豚場の老人に見つかってしまう。
この老人は家事の手伝いやブタを捕まえる手伝いをさせるために自分の家へと連れていく。
そしてこの老人は最後に一緒に住まないかなどと提案する。はっきり言って正気の沙汰ではない。
自分のブタを勝手に殺されたものの、その家族4人に水と食事と寝床を提供する。
人が良すぎる、純朴だなどという言葉では説明できないほどの人物になってしまっている。

-94日目
貰ったお肉を食べながらレールの上を歩く一家。
ここで犬が1匹現れるのだが、なんと娘・結衣はそのお肉で犬を呼び寄せようとしているのだ。
極限まで飢餓を経験しているはずなのだが、この期に及んでもまだ危機意識が無いらしい。

結果的にお肉は取られてしまい、今度は犬の大群が現れてピンチ!
というときに謎の蒸気機関車が出現。なぜSLが走っているのか…。

そしてその後、はぐれた父・義之と再会。
義之は線路の近くでぐったり、走行中のSLを見つけ、持っていた発煙筒を振る。
車内にいる母・光恵が運良く見つける。
フィクションなのでご都合主義は多少なりとも受け入れられるが、流石にこれは奇跡すぎる。

-108日目
鹿児島についたようだが、なぜ真っ先に海岸に向かったのだろうか。
まあ海岸での再会のほうが画としては良いとは思うが…。

映画を観終わって

コメディなのでリアリティが無いなら無いでも良かったのだが、あまりにも突飛な演出、つなぎ方で物語の中に入り込めない点がよろしくない。
また登場人物の頭を悪くすることによってどうにか組み立てた・構成した感がある。

『サバイバルファミリー』矢口史靖監督インタビュー「“水族館=魚介類バイキング”という長年の夢が叶いました」http://top.tsite.jp/news/cinema/o/37700244/index
サバイバル能力や知識、ツールも持っていないであろう都会の人間が、たいして目算も立てずに突然脱出だと言って家を飛び出したら、どんな目に遭うかということが、観客に体験してほしいことでした。

監督はインタビューでこう答えているが、
都会の人間を馬鹿にしすぎであると同時にリアリティが無いというのは一貫性に欠けると思われる。
登場人物の頭を悪くして描く手法は適度に使うなら良いが、やり過ぎるとストーリーの没入感を妨げてしまうと感じた。

 

作品のテーマとしては家族の絆の大切さや、食料の大切さ、現代の日常に当然のようにある利便的な生活にありがたみを持てということを伝えたいのかと思ったが、少なくとも当初はそうではなかったらしい。

矢口史靖監督が語る、『サバイバルファミリー』の裏側と独自の製作スタイル「発見がなきゃつまらない」
http://realsound.jp/movie/2017/09/post-110417.html
急速にデジタル社会になっていったけど、それによって何か大事なものが、どんどん欠落していくような気がしたんです。だったら、「いっそ無くなったほうが、人は幸せになるんじゃないか?」と。そういう強引な発想がスタートでした(笑)。

まあ焦点は家族であり、色々と野暮なツッコミを入れているということは重々承知ではある。
コメディー映画なのであって厳密なポストアポカリプス的なサバイバルではないというのは予告編からもわかる。
しかしそこに重点を置いていないとはいえ、登場人物が平和ボケしすぎていてリアリティがないというのは感情移入を妨げると思う。
そして予告編ではコメディ全開なのだが、本編ではコメディとシリアスなシーンが入り乱れており、
個人的には両方が上手く噛み合ってないような気がする。
もっとコメディに全振りするかシリアスに全振りするかしてほしかった。